優しさの表現と信じる気持ち

昨日こんな記事を書いた
【表現に飽きた】

飽きたから人と関わるのを辞めようと思った。
生きるのに飽きたから、死のうかと思った。
死んでも何もないから、何かしようかとおもった。
なにもすることが無いから、なにもしないでおこうとおもった。
迷惑のかからない死に方を調べて死のうかと思った。
どうせなら死ぬ前にしたい事を全部しようと思った。
したい事を全部やっていたら、意外と死ぬまでに時間がかかる事と思った。
ここまで考えてもなお、人に迷惑はかけたくないと思った。
人から奪えば働かなくても生きていけるけど、奪いたくないと思った。
奪わなくても与えてくれる人を探そうかと思った。
与えられたくないから探すのを辞めようとおもった。
ぼんやり考えてたら思ったことがあるから書く。

表現に飽きた。
表現する事に飽きた。
表現している人を見るのに飽きた。
全員が打算。
だからそんな世界に飽きた。

けどそれは俺が他人を全く信用していないせいだと思った。
信用して裏切られて傷つきたくないから。
傷つけないように表現してくれている事を見抜いてしまったり。
言う必要のない事を言わせたり。
本当は理解されていないんだと怒ったり。
理解してくれようとしているけど、理解出来てないことに怒ったり。
裏切られて捨てられる前に捨てるという予防線。
そのせいで、全部がダメになった。人が見えすぎる。

自分が傷つけられないように、他人との距離の測り方を学んだ。
自分が傷つけられないように、好かれる方法を学んだ。
自分が傷つけられないように、自分を公開する方法を学んだ。
自分が傷つけられないように、相手の本音を見抜く方法を学んだ。
自分が傷つけられないように、都合よく相手を留める方法を学んだ。
自分が傷つけられないように、自分の管理できる世界だけで生きた。

結果手に入ったのは、何も信用できない、すべてが思い通りの世界。
いらない。
理想としていたものが出来たけど、いらない。
俺のしたいようになるだけじゃん。
不安もない。
苦しみもない。
予想外の楽しみもない。
驚きもない。
悲しみもない。
楽しみもない。
全部予想通り。

そりゃつまらんわ。
飽きるわ。
おれのせい。

そんな事がうすうす分かっていたから、人と距離をとっていた。
けど知らない間に仲間が出来てた。
仲間になると仲良くなる。どんどん知る。
またいっぱい人を傷つけた。
都合良い関係に落とし込んだ。
都合は良いけど、つまんない。

都合が悪くなりかけたら捨てるだけ。
また捨てるのか。

今まではこんな虚無感はなかった。
それは俺が完成していなかったから。
失ったら、次はもっとうまくやろうと思った。

今回は失敗していない。これ以上上手い方法なんてない。
無いからこそ虚無。つまんない。

傷ついてもいいから、相手を信じる。
そうしないと、関係って出来ない。
そうなると、相手の言ってる事が嘘か本当かなんてどうでもいい。
何を言われたって信じるんだから、見抜く必要はない。

信じるのはしんどい。
裏切られたら悲しい。
けど、先に信じてあげると、返ってくるものはでかい。

だから表現なんてどうでもいいし、
本当のことなんてどうでもいいけど
「そうだったらいいな」ってことを信じてあげる。
それだけでいい気がして来た。

だからもう全部どうでもいいや。
信じたいって思える人なんていないからいいや。

信じさせることはできるし、
やるって言った事をさせることもできるし、
普段以上に尽くさせることもできる。
出来るけど、それって相手の選択した結果じゃないじゃん。
誘導するの飽きた。

信じれたらいいんだろうけど、

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