俺のらしさ

俺のらしさって何か考えた
それが無いって思ってた
対応人間だから、対応する以外のらしさが無いと思っていた。

ふと思い出した。以前アイデンティティの記事を書いたことを。
そこで俺はこう書いた。
「吃音」はらしさではないが「吃音の克服方法」はらしさだと。

なら俺の「コミュ障」はらしさではないが「コミュ障の克服方法」はらしさじゃんと。
じゃあどうやって克服したか。
ひたすらトライ&エラー&ラーンを繰り返す。
突き進む。
壁にぶつかっても。
何度も。
色んな角度で考えて。
色んな立場になって考えて。
色んなパターンに応じて。

これってどんな人間かって言われると、
追求心があり、
やりとげる気持ちがあり、
折れないこころ、
突き進む強さ、
チャレンジする勇気、
変わりたいと思う前向きさ、
これらを持っていると言える。

すごいじゃん。

そこで考えた。
俺はどうみられたいのか。本心は。ということを。
そりゃ、普通に考えたら、コミュ力があって、誰とでも話せて、明るくて、面白いって評価を貰えることが最高だけど、
それって本来の俺じゃない。
だから、良く見せようとする嘘の自分と、良くない本当の自分。
どっちがいいか考えた。

今までは、克服した姿こそが本当の自分だし、それが評価されるなら、
努力を含めて、すべてが認められた気になっていた。
けど傍からみたら、俺の努力なんてわからないじゃん。
誰が見たら俺がコミュ障に見える?絶対に誰もわからない。
俺が目指したのは、「コミュ障を克服した人」じゃなくて「最初からコミュ障じゃなかった人」になること。
そして、コミュ障っぽさを消すためにありとあらゆることをした。

誰にも見破られない。嘘に嘘を重ねて、その嘘をさらに嘘で隠す。
1枚2枚はがれても、本当の自分は出てこない。
だから本当の自分は、見つけてもらえなくて当然。

けど最近思う。
本当の自分を見て欲しいし、理解されたい。
だから俺の本心は、そういう事なんだろう。
けど頑張った過程とその結果も評価されたい。
だから、大事だと思う人には、ちゃんと嘘をつかずに見せる事にする。
それでいなくなるなら、しゃあない。

けどそれ以外の人は、もういいかな。と思った。
でも、
もういいかなって思う程度の人なら、最初から本来の姿を見せて嫌われた方が良いのか。
そっちの方が話が早いな。と考えた。

だからもう取り繕うのやめる。
そして、取り繕うのをやめると、人と会話する気にならない。
本来の俺は人が嫌いだから。人と話しても楽しくないから。
だからもう必要以上に外に出ないし
外に出ても誰かと出会おうとは思わない。
けどそこにもし出会いがあるとしたら、そのままの自分を見せようかなとは思う。

接触数を今まで増やしてきたけど、
結局嘘を重ねた自分を見せるだけだと、何も変わらない。
理解者は現れない。
それはそうだ。

ならもう接触数を増やすのを辞めよう。
そして少ない、出会った人に、認めてもらえたらいいかな。くらいでいいや。

こうやって考えられる事が、おれのらしさ。

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