コミュ障という概念

コミュ障って言葉をいつから知ったんだろう。
中学生のころだったかな。
高校の頃は間違いなく知っていた。
小学生のころは知らなかった。

これはとあるネットの記事をみて思った事を書いた記事。

コミュ障という言葉が世に広まってから、
会話できない人=だめ
みたいな風潮になってきた。

だが、コミュ障という言葉が広まる前ってどうだったかって言われると、
俺は静かな人が、逆に好きだった。
昔はコミュ障のことを「口下手」とか「朴訥」なんて言っていた。
言いたい事を内に秘めるが、人のために言わない。そんな強い人だと思っていた。

だから俺は寡黙に、多くを語らないが人のためには動く。そんな人間になりたかったのかもしれない。
だがいつしかコミュ障という言葉が現れてから
話せない=悪
という概念がしみついた。
しゃべれないやつは全員クズだし、話せない俺もクズだと思った。
だから今まで頑張ってきた。
結局そこに意味はなかったが。

これって俺の変化によるものだけではないとおもう。
日本が、そういうムーブにある。
声のでかいやつが優遇されるし、ノリのいいやつが優遇される。
人間が複雑になりすぎて、「雰囲気が良いかどうか」くらいでしか人を図れなくなったからかもしれない。
昔にくらべて、関わる人間の数が増え過ぎた。
ネットのせいか、スマホのせいか。
多くの人に会わなきゃいけない。
多くの人を知らなくてはいけない。
そうなると、瞬時に判断しなくてはいけない。
そうなれば、相手の気持ちを考えたり、育ちを考慮したりなんてする時間はない。
その時のノリで、なんか気があうかそうでないかを判断する。
実に浅はかな行為。

日本人の美徳なんてとっくに失われている。
気を遣う精神なんてこの社会にはどこにもない。
自己中なやつが得をする。
人に気を使わせて平気なやつが得をする。
狂った世界。

まあ、世界は狂ったけど
その中でどう生きるかって結局自由だから。
コミュ障って言いたい奴は言えばいいし
自己中でありたい人はあればいいし
そんな世界でも奥ゆかしさを大事にしたい人はしたらいいし
コミュ障だけど変わりたい人は変わればいいし
受け入れられない事を嘆いたってだれも相手にしてくれない
なりたい自分をしっかり理解して、なりたい自分になるための努力をするしかない。

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